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(日記)私は建設省との話合い・・・


(日記)私は建設省との話合い・・・_b0125397_16403648.jpg


私は建設省との話合い(交渉)の中でも先代からの位牌を前に話合いをすることにしている。

自分が築いた遺産であればいざしらず、私の家の遺産は先代が残してくれたものばかりである。私一代の中にも、山の仕事にしても、又畑の仕事にしても今思い出しても、色々な思い出が尽きない。先代が苦労して残した遺産にわ先代の思いでが、いっぱい詰まっていることだらう。小さな遺産で有るがゆえに、大切にしたいと思っている。

私の妹が七つ、か八つの頃だったろうか。

祖母が田の見回りに行くと言うので付いて行った時のことだ。
所が田の石垣が崩れて田の中の土が流れ出していたそうだ。
祖母はそれを見て、土が惜しいといつて、田ンボの中に横になり、畦のかわりになつて、周りの土をかき集めながら、妹に家に帰つて母に言うて板を持つて来る様にいつたそうである。

妹は家に帰り母に話し田んぼに板を引きずって行った時にもまだ田に横になつていてあぜを作る土を寄せていたと言う。

今私が話したことについてどう思われるだらうか。
これを滑稽だと言う人がいたらいいたい。
たとえば野球をしている人が玉を打ちベースを踏む時に滑つて泥まみれになることも滑稽だと、言えるのだらうか。どちらも一生懸命であることにわ、かわりわないと思う。
先代の人達の生活の為の土に対する思いと言うものは想像いじょうなものが有ったこととおもう。

私たちも又食料難のころわ畑を作るために開墾をしてよく石ころを拾わされたものである。
昭和十八年頃から田んぼを作る話がもちあがり水道を作り米のご飯が食えるようになつたのはそれから七、八年も後のことであらう。
それまでは麦と粟の生活であつたことを、忘れはしない。

その間、田んぼを作る為に朝は夜の明けるのを待つて川かわ石垣石をからい上げて朝飯をすまして、山に、こば作の仕事、山の仕事がすめば馬の草を切つて帰らねばならず、又帰つて早い時には川に石を上げに行く。暇をみてわ田んぼになる所の土越し、竹網を作つてである。先代人たちは皆がそのような生活だつた。

今は、このことを知る人も少なくなつた。もうこんな時代はきてほしくない。その為にわお互いが、将来の展望を見極めてゆく覚悟がなければ、村は良くはならないし発展もしないだらう。

子供は子供たい、子供はよかごとするだろう、では子供の将来はどうなるだらうか。
先祖伝来の農地は売り払い、子供はよかごとするだろう、ではあまりに親として無責任すぎるとおもうし、子供は親は養わんと言うたとしても当然のことだらう。

今わ土というものの有難さが、忘れかけられているように思われる。金さえあれば、なんでも、手に入る時代になったからだらうか。

金さえ有ればという考えで計算機を叩いて農業をわすれた百姓にも責任わある。
だが日雇いの仕事も無くなり 農地も無い、出稼ぎの仕事も無いとすれば、自給自足の道しかない。それにはこばさくしかない。
しかしここに問題はある。それは猪、鹿、猿、などである。人間である私達でも、その者に対処する手段はなかなかむずかしい。


(写真は2004年11月)
by from_itsuki | 2008-03-23 16:41 | 茂さん語録