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古地図に見る、200年前の五木。

今年8月末に発足した、五木郷土研究会。

9月の相良三十三観音巡り研修に続き、
10月30日には初の定例会がありました。

参加者は16名ほど。
全村民の1%以上、
100万人都市なら1万人以上の集まりになるわけで、
人口比率で言えばすごい関心の高さです。

たらぎ地名研究会、熊本地名研究会ほかに長く関わられている、
住吉献太郎氏を講師に迎え、
地名に隠された土地の歴史、人の暮らしについてのお話を伺いました。

古地図に見る、200年前の五木。_b0125397_1205667.jpg


「地名は小なりといえども何か意味がある。
その意味はなかなか解きにくいけれども
あぶり出しの紙のように何かが浮かぶ。
日本文化を解き明かすようなものが隠されている」
(谷川健一先生の、全国地名研究者大会での言葉より)

おもしろい勉強会でした。
住吉先生、すばらしいです。

地名も、最初は(普段は)口語だったわけで、
その後時代の変遷と共に、正にテキトーに漢字が当てられた例もあるとか。

「とうじ」とか「いずるは」とか、どんな言われなんだろーなぁ。

講師の先生と会員との熱心な質疑の後は、五木村が誇る貴重な村指定文化財、
五木谷絵図下絵」(文化12年(1815年))の鑑賞です。

ほら、資料室「やませみ」に模写が展示されている、
アレですよ、アレ。
あの原本にあたります。

傷んでることもあって、なかなか拝見できないんですよね~。

「やませみ」にあるレプリカも、
ガラスケースが邪魔で、よく見えない部分もあるし。
あれ、ガラスの戸の真ん中の仕切りは邪魔だ。
パネルにして、超・間近でじっくり見れるようにしてほしい。

集まった会員の皆さん、
当然ながら興味津々。

古地図に見る、200年前の五木。_b0125397_1205628.jpg


現代とは異なる古い交通路、往還道や地名をつぶさに見て、
話はまだまだ尽きません。

古地図に見る、200年前の五木。_b0125397_1205690.jpg


ちなみにこちら、私の現在の居住地「宮園」地区です。

古地図に見る、200年前の五木。_b0125397_2255328.jpg


「岩下」というのは、苗字でもあったと思いましたが、
字名だったのか・・・。

宮園阿蘇神社の前から対岸に渡るのは今も同じだけど、
もっと先の松尾野からは、かつて橋がかかっていたか、
より優勢な交通路だったようです。

宮園に、山の神もあるようですね。
どこだろ。

左上の保楊枝(ホヨジ)には、「荒神」の文字も見えます。
へー。


こちらは、掛橋地区。

現在は無くなっている「掛橋」村には、
山の神や荒神があって、
そこより小さい「掛迫」(現在の掛橋地区)には
「クワ(ハ?)ンヲン」(観音)が祀られているとあります。

古地図に見る、200年前の五木。_b0125397_1205631.jpg


村と言うには、わりかし大きな集落だったんでしょう。

次は、竹の川から梶原に入ってすぐのあたり。
入鴨谷には、「センノウジ」の文字が見えます。

古地図に見る、200年前の五木。_b0125397_1205681.jpg


五木村最古のお堂である入鴨観音堂は、
かつて「善能寺」というお寺だったと言われていますが、
そのことでしょう。

その隣りは「荒シ」=荒神さんのことか?
荒神さんあったかな。あるんでしょう。

今は集落としてはなくなっている「嶽」(タケ)も見えます。

大きな穴の開いた天狗岩の大岩は、
「大タキ」と呼ばれていたようですね。

ところで、五木では石灰岩の絶壁のことを「タキ」と
呼ぶことがたまにあります。

(例)
「夕飯ダキ」
 ⇒桝形山の中腹にある石灰岩の大岩。
  ここに山の影が射すと、夕ご飯を食べる時間だと言われたそう。

「白タキ」
 ⇒白滝公園にある、高さ70m・幅200mの石灰岩の絶壁。

「コオリダキ」
 ⇒八原の上にある、寒くなるとつららが差すような
  水が染み出ている石灰岩の岩。


「タキ」そのものが、五木では石灰岩の絶壁を指すのかなとも
思いましたが、石灰岩の絶壁って、
石灰質が雨に侵食されて水が染み出ていることが多いので、
そういう水がしたたり落ち、流れている様子を滝(タキ)と言うか、
絶壁の表面が、瀬(=古語でタキ)のような、石灰質の筋が
いくつも入る様子からタキと言うのか、
そんな感じなのかなーと考えたりします。

こちらは五木の北側、五家荘との境。

古地図に見る、200年前の五木。_b0125397_2235369.jpg


「五家領」、「肥後領」、「くれこ川」(久連子川)、
「小積岩」(積岩山の関連?)の文字が見えます。

昔からやはりここが、五木と五家荘の境界だったんですね。


こちらは村の中心地、頭地地区。

古地図に見る、200年前の五木。_b0125397_2333669.jpg


「庄屋元」は、やっぱり消えた“渡辺家”のことか。
下手には「御高札」があったんですね。

「新泉寺」には「阿弥陀」、
東俣と西俣の両方に「阿蘇」の文字。
これも移転前と同じですね。

うーん、名残りはあるけど、
おおざっぱ過ぎてよく分からん。
写真も粗かったから、もっと近くで見たい。


その他、「御立山」「麻畠」の文字などもあり、
山の地名もおもしろそうでした。

今年は12月までに、郷土研究会ニュース発行予定です。
研究紀要はもうしばらく先。

五木には、興味深い素材が山積みです。
by from_itsuki | 2013-10-31 01:20 | 五木の生活文化