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映画『せめて~』より、茂さん語録。

先の『せめて自らだけには恥なく瞑りたい~川辺川ダム異聞』では、
後半の3分の1くらいは、
主人公(?)のミヤハラさんと、尾方茂さんとのやりとりを中心に
進行します。

なぜここに残っているのかと聞くミヤハラさんに、
茂さんは、自給自足の生活が忘れられないのだと話す。
親に、畑にしても自分一代のものではない、と言い聞かされた茂さんは、
畑の石ころを拾う際に、確かに石がなかったことを思い出す。
祖先が切り拓いて、石を拾い尽くしたから、石のない畑があるのだ。

時代は変わっても、時代の流れにおぼれたらいけないと言う茂さん。
今の生活を選んだ一方で、
人から見たら、自分の生き方は笑われるかもしれない、
変人と言われるかもしれない、とも話す。
信念を通すことの大切さを説きながら、
茂さん自身にもいつも揺れる気持ちがないわけではない。
これでいいんだろうか、。

ミヤハラさんは、
一軒水没予定地に残る茂さんを、
周りが理解しないかもしれないことは想像できる・・・と言い、
でも、実際に周囲から何かを言われたりということが
あまりないということは、移転した皆さんも本当は残りたかった、
移転したくなくて移転したということではないでしょうか、と
言葉を選びながら言う。
茂さんも頷いて、やっぱり、皆、
仕方がないと言って上(代替地)へ上がったのだろうと言う。

私、柿ちぎりを生まれて初めて体験して喜んだり、
カライモの収穫を楽しんだりしているミヤハラさんの気持ちが
よく分かる気がします。

私よりもよほど都会育ちなんだろうと思うけど(私は「片田舎」育ち)、
同世代として、ダム問題全体や茂さんの暮らしの
何が新鮮に写って、
感動というのか、何に触れたことが一番心に残ったかという部分では
共感できるところが多い気がする。

以下、『せめて自らだけには恥なく瞑りたい~川辺川ダム異聞』の6・7・8(全8編)から抜粋した、
尾方茂さんの言葉です。


+ + + + + + + +

何もかもやっぱ、自給自足で生活していきよったもんですけんですな。
そういうことが忘れられんとですよ。
やっぱそういうふうな生活がしたいと思うもんですけん。

お金もろうたっちゃ、何にもならんちゅうわけでは
なかばってんですなぁ。
やっぱあ、自給自足の生活ばしつけてからやっぱ、
お金もろうたっちゃ、そのお金の使い道が分からんとですよ、私どもは。
お金もらえば何でもでくっかもしれんばってんですな、
そういうふうな生活はしたくないて思うもんですけんですね。

今まで通りの生活ばしたいちゅうことですな。
ちゅうのはですな、ここにおればですな、
柿なんかがあるし、みかんなんかがあるし、
ぽーぽーとかいろいろな果物があっですからですな。
そういうものば楽しみながらですよ、生活がでくっですけん。

+ + + + + + + + 

うちの家にしても財産にしても、親が言いよったことは
自分一代の財産じゃなかとぞ、先祖から残してくれた財産じゃっで大切にせろよと。
だけん、そうかもしれんなぁと今は思うとたいな。確かに。
ただ、畑の石一つを拾うにしても、
自分一代の畑じゃなかっじゃっで、皆の畑じゃで大事にせろよち言われた。
本当に今思えばな、畑には本当石ころなんかあんまなかったでな。

+ + + + + + + + 

あんたの手がおおきかごたんな。
私の手がちいさかもんね。

(ミヤハラ「固くないですよね」と触る。
「そうでもないんだ」)

仕事せんでわからんとたいな。
仕事すっときには固かばってんが、
遊んどるときにはやっぱやわらこうなる。

+ + + + + + + + 

私ももう貧乏暮らしでよかと思うとたい。
贅沢暮らしはせんでよか。
自分の生活ば大切にしたいて。
ダムができて補償金もらえば贅沢な生活がでくるばってんな、
そういう生活は好きじゃない。
自然の生活がしていきたい、という気持ちがあっとたいな。

+ + + + + + + + 

(故郷を)次の世代の人に残していきたかって気持ちはあっとたいな。私は。

+ + + + + + + + 

時代が変わったからちゅうても、
時代の流れにおぼれてはいかんもんな。
おぼれんように、自分自身の考えをしっかり持っとらんば。
皆は私の生活を人は笑うかもしれんばってん、
私はいつもそげえ思うとっとたいな。
これでよかっだろうかといつも思うとたいな
こういう生活でよかっだろうかな、と

+ + + + + + + + 

親たちがもう、自分の信念を曲げるなて、
自分の信念をやってやりぬけろちゅうて、いつもおごりよった。
自分の信念を曲ぐんなって。
自分の思うたことは、やってやりぬけ、
途中で止むるごっなら、すんなちゅうて。
途中でやむっごたんなら、人が笑うちゅうて言いよらした。
そっで、自分がこぎゃって思うたことは、
最後までやってやり抜けちゅとらしたったい。
そっでやっぱ、私のその気持が逃れんでやっぱ、
変人と言わるっとかもしれんな。

+ + + + + + + + 

お互いになぁ、
やっぱり共同体で生活していきよったでな。
そういう生活のことはやっぱ忘れたらならんて思うですな。

+ + + + + + + + 

(望まない移転をした人は)
みんな仕方がなかて気持ちのあったとたいな。
やっぱ仕方なかちゅうて、上に上がったとだろうと。

+ + + + + + + +



その他の茂さんの言葉は、こちら

映画『せめて~』より、茂さん語録。_b0125397_2327582.jpg

(昔使っていた茶もみ台(?)を見せてくれる茂さん。 2008年5月6日)

<以下、分かりづらい人のために、標準語訳>
+ + + + + + + +

何もかもやはり、自給自足で生活してきたから、
そういうことが忘れられないんですよ。
やはり、そういうふうな生活がしたいと思うから。
お金をもらっても、何にもならないというわけではないけれど。
やはり、自給自足の生活に慣れているから、
やはりお金をもらっても、そのお金の使い道が分からないんですよ、私たちは。
お金をもらえば、何でもできるかもしれないですけどね、
そういうふうな生活はしたくないと思うから。

今まで通りの生活がしたいということですね。
というのはですね、ここにいればですね、
柿があるし、みかんがあるし、
ポーポー(の木)とかいろいろな果物があるからですね。
そういうものを楽しみながらですよ、生活ができますから。

+ + + + + + + +

うちの家にしても財産にしても、親が言っていたことは
自分一代の財産じゃないんだぞ、先祖から残してくれた財産だから大切にしろよ、と。
だから、そうかもしれないなぁと今は思う。確かに。
ただ畑の石を一つ拾うにしても、
自分一代の畑じゃないんだから、皆の畑だから大切にしろよと言われた。
本当に、今思えばね、畑には本当に石ころなんかあまりなかったですね。

+ + + + + + + +

あなたの手が大きいようですね。
私の手が小さいもんね。

(ミヤハラ「固くないですよね」と触る。
「そうでもないんだ」)

仕事をしないからだめなんですよね。
仕事をする時には固いけど、
遊んでいる時にはやはり柔らかくなる。

+ + + + + + + +

私ももう貧乏暮らしで良いと思うんです。
贅沢暮らしはしなくていい。
自分の生活を大切にしたいと思う。
ダムができて補償金をもらえば贅沢な生活ができるけど、
そういう生活は好きじゃない。
自然の生活がしていきたい、という気持ちがあるんです。

+ + + + + + + +

次の世代の人に(故郷を)残していきたいという気持ちがあるんです。私は。

+ + + + + + + +

時代が変わったからといっても、
時代の流れにおぼれてはいけないですもんね。
おぼれないように、自分自身の考えをしっかり持っていないと。
皆は、私の生活を人は笑うかもしれないけど、
私はいつもそう思ってるんです。
これで良いのだろうかといつも思うのです。
こんな生活でよいのだろうか、と。

+ + + + + + + +

親たちが自分の信念を曲げるなと、
自分の信念の通りやってやり抜けと言っていつも怒っていた。
自分の思うところをやってやり抜け、と。
途中で止めるぐらいなら、するな、と。
途中で止めるぐらいなら、人が笑う、と言われていた。
それで、自分がこうと思ったことは
最後までやってやり抜けと言われていた。
それで、やはり私もそういう気持ちから逃れなくて、やはり、
変人と言われていたかもしれないですね。

+ + + + + + + +

お互いに
やはり共同体で生活していたからですね。
そういう生活のことはやはり忘れたらいけないと思いますね。

+ + + + + + + +

(望まない移転をした人は)
みんな仕方がないという気持ちがあるんですよ。
やはり仕方ないと言って、上に上がったのだろうと思う。

+ + + + + + + +

映画『せめて~』より、茂さん語録。_b0125397_23314129.jpg

(今年も茂さんちの梅の花が咲き始めた。 2011年3月6日)
by from_itsuki | 2011-03-12 17:31