キクエさんと、チユキさんたち。

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86歳ぐらいのキクエさんは、
笑顔がかわいいおばあちゃん。

チユキさんの一番の仲良しで、
ちーちゃん、しげっさん(たまに「じいさん」)と呼んで、
代替地に上がっても、時々歩いて下りて来て、
立ち寄ってお茶を飲んで上がって行かれる。

尾方家の生活スタイルをよくご存知で、
茶摘みの日には、食事の用意が大変だろうと
道の駅でお弁当を買ってきてくれる。

「下」に住んでいた頃は、
道下の畑のすぐ近く、床屋さんの裏に家があった。
家から「今日はなんばすっとなー?」と声をかければ
聞こえるぐらいの近さだったと笑う。

キクエさんは、戦時中、支那に6年ほど住んでいたことがある。
旦那さんが徴兵されて、日鉄の警備の仕事をしていて、
地方の都市に4年、北京に2年。
2人目の子供は、中国で生まれたのだそう。

「向こうの人はよか人たちで、よくしてもらった。
終戦で帰る時には、皆『田山さんな帰るてばい』と言って
惜しんでくれた」と話す。

終戦を中国で迎えて、割と早い時期に日本に帰る船に乗れたので
良かった。もっと遅ければ、すぐには帰れずに苦労をしていた。

ばってん、長か船旅で子供が病気になってしもうて、
長崎の港について13日後に、死んでしまった。
五木に帰ってきて、子供を5人育てた。
旦那さんは、来年で50周忌。39歳で亡くした。

でも、チユキさんや茂さん、みんなに本当によくしてもらった、と言う。

知らなかった。
いつも元気で明るいキクエさんは、そんな苦労をされていたのだ。

「店で手袋を買うたばってん、ちーちゃんの分も買うて来たばい。
おれとお揃いたい。じいさんにはなかばってん、よかな」
そうゴム手袋を渡すキクエさん。

チユキさんも「えー」(=五木弁で「それはそれは(大変だ・有難い)」
という意味の言葉)と、うれしそうに色違いの手袋を受け取って、そから
タケノコを探しに山にいったが、誰かがコイでしまってて無かったとか、
グランドゴルフ大会の話とか、
大豆(枝豆)の種をちーちゃんの分も買ってきたから撒くと良い、
これは夏に食べてもおいしいのだとか、ひとしきり、楽しいおしゃべり。


中津江村の原部集落で、以前、地元学スタイルでの集落点検の
お手伝いをした。その報告会で、原部の人が
「原部は今のままが一番。みんな仲良くて、いやな人が誰もいなくて
みんな元気で。今のこの時間が一番幸せ。
このまま時間が止まってほしいと思うぐらい」
と口々に言われていた。
女性も、男性も。

そう思える地域は、なんて幸せなんだろうと思う。


キクエさんと、チユキさん、茂さんの周りにも、
いつまでも、こういう時間が続くといいなと思う。
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by from_itsuki | 2010-06-28 02:10 | 五木の生活文化 | Trackback | Comments(0)

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