始めは一冊の本から。

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(茂さんちの庭にあるヒメシャラ?の木の花 2010年6月8日)

去る6月14日の「不知火海・球磨川流域圏流域学会」での
基調講演は、熊本日日新聞の木村彰広さんでした。

講演前に、久しぶりに茂さんちで一緒になり、
懐かしい声を聞きました。


私の人生を変えた本の一つに、
木村さんが中心になってまとめられた、熊日の
『山が笑う村が沈む~ダムに揺れる五木の人々』という
本があります。

2001年11月に出版されたこの本は、
地元の熊本日日新聞社が掲載していた「五木日記」という
連載をまとめたもの。
現在では、若干の追記を加えて、『巨大ダムに揺れる子守唄の村―川辺川ダムと五木の人々』
という文庫版も出ています。

数十人の村の方たちを取材し、
五木村での暮らしやダムを巡る思いをまとめたもので、
「ダム」というものが、そこに暮らす人びと、一人一人の日常の上に、
覆いかぶさり、存在しているものなのだと、
今さらながらに認識を新たにしました。


それまでの私にとってのダム問題は、
環境問題であったり、「住民参加」とか「透明性の確保」とか
プロジェクト立案・実施プロセスにおけるいくつかのキーワードであったり。

ダムが水没予定地や流域の暮らしに、大きな影響を
与えることは知っていても、実際にそれがどういうものなのかを、
私は全然分かっていなかったのだと思い知らされました。

この本の中に出てくる人たちに会いに行こう。
紙面には書くことができなかった話や、『現在』を知るために、
できるのなら全員に会いに行こう。
そして、ダムと暮らしを私なりに捉えなおし、
ダム問題の本質を知る機会なく暮らす大多数の人に、
何かを伝えていこう。

最初は、こんな単純で壮大で
青くさーい感じの動機から、五木に通い始めました。

いやー、こっ恥ずかしいね。なかなか。(笑)

しかし、五木に来るうちに、
ダムもだけど、山の暮らしの多様性や文化そのものに
強く興味をひかれるようになって・・・
知らなかったことや、観光パンフなんぞじゃ分からない面白さを
たくさん教えてもらいました。


しかし、時折思い出しますね。
五木に来始めたころの、苦い経験も。

話を聞かせてもらおうと玄関を叩いて、
「ダムについては話したくない」とピシャッと閉められたり。
何度か尋ねて知り合いになったつもりになって、
五木村からの移転直後に電話をして話を聞こうとしたら、
「もう話したくないので、二度と電話をしないでくれ」と切られたり。

そりゃそうだよなと今では思うけど。
どれほどデリケートな問題なのか、やっぱり分かっていなかったのだと思うし、
配慮がなく、むらならではの合意形成や、コミュニケーションを分かってなかったし、
私も(今もだけど)何者でもなくて、何のためにそんな話を聞くのか
うまく説明することもできなかったし。

今もまだ、分かっているとは言えないけど。

旧頭地集落の「最後」に立ち会った人たちは、
同じ思いをしたかもしれません。
あの切なく息苦しい、なんとも表現できない気持ち。

訪ねる度に、家が一軒ずつ解かれ、
この前は確かにここにあったはずの家がなくなって、
ガランとした、小さなセメントの敷地だけが残っていて、
生活空間ってこんなに小さかったんだと思った。

旧頭地から家がなくなり、苔むした木がどんどん切られて、
ガランとした空き地と瓦礫ばかりになって、
代わりに、更地だった頭地代替地で建築ラッシュが始まり、
一家族ずつ、「上」に上がっていった、
その様子を、茂さんと一緒に見ていました。

そして、それから強制収用の話があって、
漁業権や金川の共有地がまず収用委員会にかかって、
それから数年後に、茂さんの家や田畑も収用委員会にかかって、
その間で利水裁判原告勝訴があったり、
補償金受入れの最後通告があったり、
さまざまな人やメディアの人が茂さんを訪ねたり。

最後には、収用されずに済んだけど、
激動の時代だったなぁと今は思うようになりました。
茂さんにとっても。

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(6月はコンニャクの芽生えの季節。茂さん宅にて。 2010年6月10日)


「さみしかとはさみしかばってん、、、
百姓は百姓の仕事があっでな」。

今はもう、さみしいとは言われなくなった茂さんですが、
子供のいない自分たちの将来を、
家族のように親しかった近所の人たちが次々と「上がって」行くのを
どれほど不安で心細く、さみしく思われていたか。

今はおだやかな日常なだけに、
茂さんを支える祖先の思いというか、茂さんの信念の強さを思います。


代替地へ上がった人たちも、
さまざまな事情から村外への移転を選んだ人たちも、
多くの人が(最後まで村に残った方たちは特に)
苦しい選択をされたことだろうと思います。

「ダム問題を知りたいと思ったら、
100人いたら100人すべてに話を聞かないと分からない。
100人には、100通りのダムがあるから」

村を離れた人が言われた言葉を、
深い戒めを込めて、思い出します。

そう。
ダム問題と水没予定地のことは、一言では言いくくれない。

ダムが中止になって、それで解決じゃないし、
いつでも、新聞は大事なことの一部しか伝えてくれないもの。

村も静かに変わりつつあり、
また、変わるべくして、変えるべくして変わりつつあるとも
言えるかもしれません。

自分の人生に、豊かな経験と新しい視点を与えてくれた五木村に、
私は私の立場から何かできることがあるだろうか、
何ができるだろうかと思います。


今日は雨。
久しぶりに自宅にいて、これまでのことなどを思い出してみました。

来週半ばは、知人を五木に招待して、日奈久・五木村一泊二日の旅!
さて、どこを案内しようかな。。

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(代替地に住むキクエさんが3人モチの竹山から取ったハチクを、
茂さんちにおすそ分け。そのおすそわけをもらう 2010年6月21日)
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by from_itsuki | 2010-06-27 18:51 | つれづれ話 | Trackback | Comments(0)

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