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「五木村学術調査」が実施されるまで。

「五木村学術調査」が実施されるまで。_b0125397_132846.jpg

(2004年夏の祇園池看板。子守唄人形のデザインがかわいい♪)

以前、「週刊ひとよし」という雑誌に
「私的“五木紀行”」という1Pのコラムを書かせていただいていたことがありました。
随分前で、今読むと恥ずかしいというか、
いろいろと理解不足、配慮不足、調査不足も多々あるのですが・・・
その中で、五木村地権者協議会の方にお話を伺いつつ、
文化財調査のことについて、書いた回があります。

一部、先の記事と重複しますが・・・ご笑覧下さい。

--------------------
Vol.18
 五木村の貴重な文化財、民俗慣習については、これまで鶴宗六さん、佐藤光昭さん(どちらも故人)を始めとする「先人」たちによる調査の蓄積があります。
 昭和41年にダム計画が発表されてから昭和50年代末までの間は、ダム絶対反対か受入かをめぐり、特に大きく揺れた時期でした。水没者団体の一つ「地権者協議会」はダム反対の立場から裁判闘争まで行った団体でしたが、会員数は最も多い時期でも村内で80世帯余り。村が一旦ダム受入へと移って後、ダム反対派は常に少数派であり、村行政や他の水没者団体とは対立する立場になりました。

  「村の水没地区が永久に沈むのであれば、この村が日本、世界の他の地域と比べて、一体どういう村だったのかを記録せねばならない。しかし、日本や世界の各地と比較していたのであれば、気の遠くなるような年月がかかってしまい不可能に近い。それならば最低限、五木村のすべてを調査し、その中にあって水没地というものは一体どういう位置づけにあったのかということを記録せねばならない。」

 ダム容認やむなしの雰囲気が漂い始めたその当時、在野の郷土歴史家や文化財保護委員であった方たちはそう考えたのだそうです。ダムによる水没を余儀なくされるとき、このままではその地域の長い歴史が育ててきたものたちが、永遠に失われることになる。後に続く世代のため、失われるその前に記録し残さなくてはならない。時代が下って後にも、五木村民が自分たちの長い営みを振り返ることができるように、と。

 水没予定地での民俗調査は、ダム関連事業として実施されるべきものの一つというのが、彼らの考えでした。五木村には各集落ごとに残るお堂や仏像のほかにも、石碑や庚申塔、古い民具や農具、言い伝え、風習や漁法、猟法など、記録しておかなければ急速に人々の記憶から失われてしまう可能性のあるものが数多くありました。志を同じくする村の文化財保護委員の方たちは、正式な調査を行う前の基礎調査として、昭和59年、2冊の五木村文化財に関する報告書をまとめました。それぞれ仕事の合間を見て、手弁当での調査作業でした。

 「五木村にはこれだけの民俗資料がある。専門家による正式な調査をぜひ実施してほしい」。
 彼らはこの報告書を村と国に提出し、これら文化財に加え、人文、自然両分野での本格的調査の必要性を繰り返し訴えました。その熱意に、ついに当時の川辺川ダム工事事務所所長らは動かされ、必要な予算措置を取ることを約束しました。ところが次の所長の代になると一転、国は予算出費を渋り始めます。なんとか国とかけあい、結局村が費用の一部を負担する形での本格的調査が実施されました。

 団長は村田煕鹿児島大教授。地元の文化財保護委員も、協力者として大いに活躍されました。その膨大な調査資料を集約したものが、『五木村学術調査』(五木村学術調査団編、1987年)人文・自然編の2冊になります。えんじ色の布表紙に、金字の表題。一地方史として誇るに余りあるこの本は、県外の研究家からも好評なのだそうです。
 地権者協議会の会員には、文化や歴史が水没することを懸念してダム反対闘争に加わった人たちもいました。
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by from_itsuki | 2010-03-19 15:01 | 五木の生活文化