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センモトネギが植え時です。

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夏が終わります。

今年もジギュウリがたくさんなりました。
トウキビはまぁまぁですかね。今ひとつな感じもします。
左上はセンモトネギです。
去年のネギの球根を選り分けて、今年植えるのを選びます。

センモトネギとは、玉葱と葱の間の種類だそうで、
ワケギ、アサツキ、ノビルの仲間か、その在来種みたいです。

参考1
参考2
参考3

球根は、分けて植えても、まとめて植えてもいいようで、
まとめて植えてもかなりドバッと芽を出すよう(千本に増えるから千本葱という節も)。
香りがいいので、まだ細く小さいうちはお味噌汁に入れたり、
火を通すとまたおいしいようです。

熊本の「一文字(ひともじ)のぐるぐる」と言われる、郷土料理がありますが、
これに使う葱のことを一文字と呼んでいて、
センモトネギ=アサツキ、ワケギ、ノビル、ヒトモジ ・・・というふうにかかれてあることも。

・・・

この夏はさまざまなことがありました。

「(ダムのために)自分も人生を狂わされ、今まで何だったのか」
という村の人の声を新聞で目にしました。

やりきれない気持ちになるけど・・・

本当、そういうふうに思う人は多いだろうと思う。

「寂しくなっても、ここで暮らせれば、それでよか。国は早く農地を造成し、以前の姿に戻してほしい。そうすれば、村が元気になる」
(こちら)

茂さんの言葉が、語り手の意志をゆがめられることなく
きちんと報道されていた。
たまに、記者さんの思い入れが強くて、
「茂さんはこんなこと言わないよなぁ」と思える記事があったりして
苦笑したりする。

先週からの一連の報道は、
各紙比較してみると興味深い。

ちゃんと見ているなぁと思える記事もあるし、
それってどうなのよ?!と思える記事も。

実態以上に感傷的に描いているように思える記事もあり。
マスコミの方は、そういう「図」を描きたいのかな。

現実は、もっと深くて複雑で、
簡単な構図で捉えづらいこともありますね。
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by from_itsuki | 2009-09-29 22:14 | 茂さんちのまわり | Trackback | Comments(1)

サイエンは夏から秋へ。冬野菜の準備。


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9月の連休中、皆さんはどう過ごされましたか?

私は、人吉・球磨・八代にて以下を楽しみました。
球磨川ラフティング相良三十三観音秋の一斉開帳、ロッジ山小屋の夕食、五家荘の佐倉荘梅の木吊り橋と梅の木轟の滝(五家荘)、平家の里、樅木神社(菅原道真)、樅木の吊り橋五木久領庵のランチ、道の駅五木の温泉「夢唄」・物産館、白滝公園、日奈久温泉金波楼の立寄り湯。


短い日程だったので、文化体験とかトレッキングが入れられなかったのが残念・・・。
旅をプロデュースするって楽しいですね。

滞在中、友人ともども、茂さん宅で朝食をごちそうになったりもしました。


茂さん宅となりの畑では、
モチトウキビシーズンが終わり、畑はきれいさっぱり、見通しよくなりました。
スイカも完全に終わりました。
ジギュウリ、ニガウリはまもなくシーズン終了。ですが、まだ当分いけます。
時期をずらして植えたおかげで、第一期、第二期ナスもこれから太りそう。

「今年は、タカキビはあまり良くなかったですね。」

「間引きしたとばもらって植えたでな。スズメも来たし」

なるほど。

冬場のキャベツ、ダイコン、レタスを植えたばかりで、
センモトネギも植えたばかり。
大豆は一部、シカに葉を食べられる被害が出ていましたが、
現在薄い枝豆がなりつつあります。
小豆も順調。

今年は結構大豆をたくさん植えられている感じです。
ソバはどこに植えられたかな。
家の裏のカライモは・・・そうそう、最近ほったらかしの米は・・・。


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水がないとのことで、毎日の水遣りが大変です。
池のセンスイ(泉水)からホースを引いて、水遣りしています。

「なんば植えとっとですか?」

「チユキの植えとっで知らん」

・・・そうですか。
耕す人と、蒔く人。分業されてるわけですね。

写真の中央らへん、水のかかっていない場所にまばらに生えている芽を発見。

「チユキさん、これ何ですか?」

「ジギューリたい」

「へー、今の季節からですか?」

「いや、ジギューリばほかしとったで、そんまま。(笑)」

育ちすぎたジギューリを捨ててたら、
勝手に腐って種から芽が生えてきたそう。

自然の摂理とはすごいもんですなぁ。
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by from_itsuki | 2009-09-26 12:58 | 茂さんちのまわり | Trackback | Comments(0)

村ん将来んこつ。


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今日は前原国交大臣が五木へ来ているらしい。
国交省の案内で現地を回るって、オイオイ・・・それじゃ今までとおんなじじゃん。
天気も良さそうなので、今ごろはたくさんのマスコミと共に
川辺川沿いを上流へ上られていることでしょう。


ダム中止発表の後に、茂さんの家にも数社、マスコミが来たそう。
共同通信なども来るし、テレビ局も来る。
水没予定地だった場所に一軒残る夫婦というのは、
確かに目立つ存在で、マスコミが注目するのは仕方がない。

でもたぶん、マスコミの中には、
公に出てくる「村の声」とは違う声を拾いたいという思いもあるんじゃないでしょうかね。

・・・ということを、先日茂さんと話してました。

「そぎゃじゃろかい。
ダム推進ち声しか村が言わんなら、そぎゃんともあっかもしれんなぁ。」


「村の声」として表に出てくるのは、
ダム中止には反対だ、中止というなら生活再建策を示せとの声。
でも、本当の本当に「ダムがほしい」という人が、一体どれほどいるんだろうか?

ダム建設を望む声は、さまざまなもつれた背景の裏返し。

これまでの経緯から考えて村民感情として収まらないからだとか、
頭地大橋や県道・村道が付替工事中だということとか、
約束された代替農地がほとんど着工できていないということとかが背景にあるように思える。

これだけこんがらがってしまった糸を解くのは、簡単じゃない。
本音とタテマエがそれをまた複雑にしているように見える。


・・・


「結構畑が広くなりましたね。このあたりは元Kさん宅じゃなかですか」

「ここは、Yさんがたんたいな」

コツコツ・・・
水没予定地の一角に、つるはしが入り、セメントを砕き、
無数の石や瓦礫と土をふるってより分けて、
石や瓦礫を拾い、小型運搬車で運び出す。

茂さんの毎日を見ていると、
土には農家の汗がしみ込んでいる、という茂さんの言葉の意味がよく分かる。

「自分一代んこつなら、どぎゃでもなる。
ばってん、残される子や孫のために、村ん将来んこつばよう考えんばんでな。」


がんばれ、五木村。


(写真=2009年9月21日)
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by from_itsuki | 2009-09-26 12:04 | 茂さんちのまわり | Trackback | Comments(1)

五木周辺の携帯圏外エリア

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今さらですが・・・
フロム五木と言いつつ、このブログは五木村から発信しているわけではありません。


地元発信の観光情報は、
五木村観光協会のブログ「ようこそ五木村」をどうぞ。
観光協会は、道の駅五木の物産館の中にあります。 TEL0966-37-2611

川辺川・梶原川ほかヤマメ釣行のようすは
こちらにもあります。
川やヤマメの写真もきれいです。


知ってる人は知ってますが、このブログは五木からの発信ではないことを明言しておきます。
(ごくたまに、五木村内からネットに接続して発信してることもあります)

最近、頭地代替地あたりまでADSLが入ったとか。
白岩戸の人がネットをしてる、さくさくつながって快適と言われてたけど、
同じ時期に工事が入ったのかな?
でも、白滝公園あたりはDocomoは圏外・・・
ネット回線だけつながったのか??


なお、五木には携帯が圏外になるエリアがまだあります。

ひっきりなしにかかってくる仕事の電話から離れて、
ゆったり休暇をとりたい方は、ぜひ五木へ。
電磁波フリーな滞在ができます。


以下、圏外エリアです(Docomo)。

○県道25号線沿い
高野代替地の先~東陽の黒渕河川公園あたりまで。
大通峠公園の展望所(大通峠トンネルの真上。駐車場の隣り、宇土方面を見渡す一角)で
一瞬電波がつながる場所があります。(アンテナは1本か2本)


○国道445号線沿い
頭地から上流側は、五家荘の椎原、樅木谷、葉木あたりまで入ります。
頭地から下流側も基本的に圏外はないようですが、
ダム予定地までトンネルがいくつもあるため、断続的に圏外。
さらに相良村四浦までの間に、電波が一部弱い場所があります。


頭地から見ると、
国見山あたりに、DocomoとAuの中継塔が立ってるのが見えます。
以前、雷がどっちかに落ちたとも聞きました。


(写真=これが噂の出ル羽(いづるは)の赤大根。平地で育てると色が薄くなる説、真偽やいかに!?4年ほど前に道の駅五木で撮影)
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by from_itsuki | 2009-09-19 11:56 | 五木村暮らしの便利帳 | Trackback | Comments(2)

私的「五木ミステリー」ベスト⑨

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五木では雨が降っていないらしい。

数年前に、秋になるまでしばらく雨が降らず、ちょっと降ってから冷え込んだ
年がありました。
今年は台風が来なかったから落葉しなくて良かったね、と話してましたが、
二本杉峠(五家荘)あたりなどの山の高い場所では、
雨が遅すぎたため、葉が枯れて落ちてしまっていたことがありました。
それでも、少し低い樅木谷はきれいでしたが。
今年はどうでしょうか?

ところで、近く五木の「祇園池」を探しに行く予定です。

祇園池は、旧道の野々脇地区にあった池。

片目の魚が棲んでいたとか、水神さんの使いだったからいじめると祟られたとか、
数百メートル高い瀬目地区の祇園さんと池を、亀が毎年行き来していたとか・・・
いろいろな話が残っています。


五木には、こうした古い言い伝えがいくつか残っていて、
いつか探究してみたい五木ミステリーの一つとして
わたしの中で、この数年来の課題になっています。


以下、わたし的に五木で気になってるもの、ベスト⑨。
(2009年9月現在)


①堂々の一位は「消えた渡辺家の謎」

知る人ぞ知る、五木の庄屋元渡辺家。
かつて田口に住んでいて、「ヤシキアト」の地名も残る。
渡辺家は、豪奢ぶりがお咎めを受け、河原で切腹させられたという話が伝わっている。
その後、江戸か遅くとも明治初め頃までに渡辺家はツブれて、
最後の代の人は財産を処分して、東京に出て行ったらしい。
五木を出る際、田口集落の人に、土地を分けて行ったそうで
田口にダンナがおらず、共同所有(ジュウニンモチ、サンニンモチなど)の山が多かったのは
渡辺家から分けたから。
出て行った際、田口のむらの人は大変な喜びようだったらしい、と茂さんはおばあさんから聞いたそう。

以前、下手の川辺川沿いの河原に、確かに「渡辺の墓」と呼ばれた大きな石があり、
渡辺紋(三ツ星?三ツ星に一文字)が彫られていた。
この墓は代替地に移転したのかな?

渡辺家消滅は謎に包まれていて、明治22年の土地台帳にも「渡辺」の名はなかったよう。
地元の「大久保(おくぼ)のダンナ」は、その渡辺家に嫁を出したことがあるそうで、
渡辺家の謎のヒントもご存知なのかも・・・。

渡辺家が、どの時代になぜ、忽然と消えたのか??
ミステリーです・・・。


②入鴨?梶原?あたりに洞窟(鍾乳洞?)があり、観音様?が祀られているらしい。
入り口は狭いが、中に入ると結構広いらしい。
入り口の手前に池があるらしい。
今もあるのか?

③下梶原周辺は、元々久連子からの焼畑をするための出作小屋に住み始めたのが
後になって移り住んだらしい。、
それはいつの時代?誰か口伝えで聞いている人がいるのでは?

④中道の人は、宮園?竹の川?周辺まで、山の尾根を通る道があって
昔は歩いて常会に来ていた。
それはどのルート?

⑤中道の集落の上のところに「右人吉、左久連子」と彫られた石の路標があるらしい。
数人から目撃情報を聞いているので、一度実物を見てみたい。

⑥内谷ダム方面の山口地区?あたりの家の納屋に、
西南の役の際、逃げた軍隊が付けて行った刀傷が残っているらしい。
資料で古い写真を見たことがあるが、今も果たして残っているのか?

⑦大平に銅山があったが、その上の方にはトロッコの線路が一部残っているらしい。
以前、銅山労働者の墓地や炭焼窯?坑?の跡らしいものをを見たことはあるけど、
線路はまだ私は見たことがない。
村道付け替え工事で、もう無くなってるかな?

⑧標高800~900mの出ル羽(いづるは)にある赤大根は、
平地で育てると赤くなくなるらしい。
(樅木、久連子あたりにも平家大根というのがあるから同種か?)

⑨古い道
・内谷方面から坂本の鮎帰へ抜ける道
・梶原から久連子へ抜ける道(途中、石灰岩のダイラがあるらしい。カルスト地形?)
・南部からあさぎり方面へ抜ける道?

・・・

これから時間をかけ、謎解きをしていきたいと思ってます。
謎解き参加者募集中。
お楽しみに。


(写真=茂さん手作りの印鑑。錐は釘を研いだもの、印鑑の木は、山で採った硬いツゲの木や鹿角。若い頃に、茂さんが趣味で作って近所の人にあげたりしていたそう)
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by from_itsuki | 2009-09-19 11:05 | 五木の生活文化 | Trackback | Comments(0)

(日記)建設省は最初は

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茂さんの古い日記より。
15年~20年ほど前に書いたものだそうです。

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建設省は最初は水没者の要求するだけは宅地も農地も造成してやる。と言うていたのが、こんどは農地は頭地代替え地に十町歩作る。と、言いだした、ところが、今えは水没地内に十町歩だと言いだした。土地の所有者を馬鹿にした言いかただ、

宅地造成がしたいならば、第一に土地の所有者の生活再建を考えるべきだと私は言いたい。
山の動物達が、わるさをして被害が出ていることも、動物の生活の場を無くした人間が悪いのではないのだらうか、

同じ人間でありながら、自分自身の欲望のために、人を落とし入れ国の為とか、下流住民の為とか、五木村の為とかと、言うことが 土地所有者を 食い物にするといえるのではないだらうか、

自分を評価されたい為にわ、人を犠牲にしてまで、評価されたいかと言いたい。

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(写真=庭の手水のそばで、草刈鎌を研ぐ)
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by from_itsuki | 2009-09-18 09:32 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

(日記)私は家を守る為には

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茂さんの古い日記から。

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私は家を守る為にわ先代が残してくれた土地は一坪たりとも手放してはならないと思つてきた、先代の人達も、自分の子供達のためにと、それを守り続けて来たのだと思う。それが山で有り畑けである。

自分一代にも色々の思出はある。
米のご飯がほしさに、銀行から金を借り、掛橋谷から水を引き、畑を田んぼに作り替えて工事に十年余りの歳月を費やしたことも、思いでの一つである。父母の苦労、先祖の汗がいっぱいはいつた、山で有り畑で有る。
それを思うと、自分達の苦労は話すのも恥ずかしい、すべてが子供の為未来の為と、植林でもおなじである、自分の代ではお金にはならなとわかっていても 子供の代には良くなることを信じ未来えの生活の安定を計つてのことである。それを守ることいよつて自分達の家が末代までも続き、お互いがその自覚を持つことによつて、五木村が形成されてゆくのだから。

そして私の死後もそれを守つて貰わねばならない、ささやかな土地ではあつても、それが家名を守るひとつの任務であり仕事だと思う。辛いことだと思う、だが先代の人達はそれをやりとおしてきたのだから。
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(写真=2009年5月、トウキビをゆがくのにクドに火を薪をくべる)
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by from_itsuki | 2009-09-18 04:19 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

似顔絵


手先がとても器用な茂さん。

しかし父・乙平さんはさらに器用だったと、茂さんは謙遜します。

農具から建具、漁具まで、何でも作ったというお父さんにはなかった茂さんの才能の一つが、
文章を書いたり、絵を描くこと。
クリエイティブです。


若い頃に描いたという、自画像を持ってパチリ。
なかなかのハンサムです。

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遠慮がちに言われた「家内のもあっとばってん・・・」との一言を、私は聞き逃しませんでした。
おねだりしまして、見せてもらいました。

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確かにチユキさん!
面影があります。


この家は、宝物だらけです。
納屋の二階も古い道具がたくさんあって非常に興味深いですが、
母屋もかなりさまざまなものが隠されているよう。

母屋の屋根裏には、茂さんのおばあちゃんが使われていたという機も残っているそうで、
いつか見せていただきたいものです。
茂さんのおばあちゃんは、麻を育て、紡ぎ、麻布を織り、染め、着物を仕立てていたそうです。

このおばあちゃんは、茂さんの人生に色濃く影響を与えている方のようで、
数々の話を聞きました。

その1つは、西南戦争を目撃していた話。

西南戦争の際、五木村は戦場になり、頭地もほとんどの建物が焼けたそうですが、
子どもだったおばあちゃんは、家族と縁の下に隠れ、官軍と薩軍の戦いを見ていたそう。
西南戦争って、130年以上前の話です。
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by from_itsuki | 2009-09-18 04:04 | 五木の生活文化 | Trackback | Comments(0)

(意見書)住みやすいこの場所で今のままの生活を

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(炭焼窯の前で照れる茂さん。炭焼小屋は移転のためやむなく壊されたけれど、窯の中には、10年以上前に焼いた雑木の炭が、まだ入ったままになっているそう。2004年12月)


世の中は動いていますが、
茂さんの周囲でここ数年に起きた、
さまざまな場面場面、いくつもの出来事を思い出します。


無口な尾方さんですが、
ここ数年で、国交省に意見書を出したことが2回。

1回は、2005年5月。
知らないうちに、田んぼに引いていた水の流れを変えられていたり、
自宅裏手に迫る森が丸裸にされ、飲み水に使っていた水路へ石や土砂が流れ込んだり、
亡くなられたお父さんが植えた墓地の桜が伐採されてしまったりした頃。

もう1回は、その年の7月。
その他数十件の土地等と一緒に、
国が強制収用しようと、尾方さんが暮らす家と田畑を熊本県収用委員会審理にかけた時。


ぽつりぽつりと、話される言葉を書き留めながら、
さまざまな出来事があったことを知りました。
当時、自分の土地を守ろうと、茂さんも必死でした。
近くで見ていて、どうしたら良いだろうかという、長い長い苦悩の最中にあったように見えました。


ここ3週間ほど、五木へ行けていませんが、
茂さんは、どんな思いで見つめられているだろうかと思います。


たぶん、いつものように、
黙々と畑の石を拾っているはず。(笑)

そして私を見つけたら
「あらー、長う来んだったな。」と笑顔を見せて、
「茶ーども飲みない。」と、台所に案内してくれるんだろうなぁ。

何気ない、日常のありがたさ。


これからさまざまなことが起きるでしょうが、
茂さんや、茂さんと違う意見の方々も含めて、
地元の人が納得できる形になるのが、一番良いです。


下記は、やや古いですが、2005年7月21日付、尾方茂さんの意見書からの抜粋です。
あまり語られていない言葉もありましたので、紹介します。

本当に、走馬灯のように、あの当時のことを思い出します。
台所で一緒にお茶を飲みながら、いつも田畑のこと、村の将来のことについて話されていました。


----------------

 川辺川ダム計画のために、私の家や農地が強制収用されようとしています。私が先祖から受け継いできた、大切な田畑と自宅です。私が現在まで調印をせずに来たのは、補償を受ける前に、まず代替農地を造成してほしいという気持ちからです。
 国土交通省は農地については造成してやると言いますが、具体的なことは何も示さず、口約束でしかありません。国土交通省に対しては、不信の気持ちがあります。平成8年に頭地代替地造成用地として補償を受けた際、国は私に対し、強制的なやり方で契約を行いました。
 これらのことについて、以下の通り、意見を申し上げます。


1 私は、頭地代替地の造成予定地に、十数枚の畑や山林を持っていた。主に麦、ソバ、小豆、大豆などを作ってきた畑だった。畑だけでなく、柿や栗、ウメ、ゆくり、ぽーぽーの木など果物の木、茶や梶の木もあり、杉を植林した土地もあった。私はこの農地で自家消費用の野菜や果物を作ったり、現金収入を得るための茶や梶の木を育てたりして利用してきた。
 私は若い頃から、ダムのために農地を売ることにはどうしても反対だった。代替農地の目途もないうちに、私たち百姓が農地を失えば、どうやって生活していくのかという、生活不安の思いからであった。
 しかし、昭和59年に地権者協議会がダム反対裁判を取り下げ、村全体がダムを前提として進んでいく中で、「ダムができるのであれば、代替農地造成の目途がきちんと立てば、農地を手放すのは仕方ないのかもしれない」というふうに考えるようになっていた。当時の建設省に対しても、代替農地のことを要求していた。代替農地のことがはっきりしてからでなければ、調印することはできないと思っていたし、自宅近くに農地が欲しいということと合わせて、ずっと建設省にそのように希望を伝えていた。
 

2 契約書への調印について
 平成8年春頃に、国交省(当時の建設省)から印鑑を持って来るようにという呼び出しがあった。調印のことについての説明は一切なく、ただ実印だけ持ってくるようにという内容だった。私は、呼び出された理由はよく分からなかったが、印鑑を持ち第一出張所へ行った。
 第一出張所へ行くとまず、建設省の職員から「印鑑を貸せ」と言われた。職員は、紙に印鑑を試しについてみてから、「これは違う。実印ではない」と言った。私が「これは実印だ」と言い返した。すると職員は、どこからか私の印鑑証明を出してきて、今ついた印影と、その印鑑証明を見比べてから「確かに実印だ」と言った。
 国交省の職員が、自分の印鑑証明を持っていたことに私はびっくりした。私から国に印鑑証明を提出した覚えはなかったし、たとえ国といえども、本人が知らないうちに印鑑証明を取ることはできないはずだが、なぜ持っているのだろうか、と思った。
 それから国交省の職員は、私の印鑑を持ったまま、契約書の書類にポンポンと押印をしていった。あっと私が思った時には、すでに印鑑は押されていて、止めることすらできなかった。
 私が書類の内容を確認しようとのぞき込んだら、国交省の職員は「見ることはいらん」と強く言い、私には見せてすらもらえなかった。自分の印鑑を押された書類だったが、内容も見させないという、国の横柄な態度に腹が立ち、その場で職員の手からその契約書を奪い取り、破り捨ててやろうかと思ったほどだった。あっと言う間に印鑑を押されてしまい、どうすることもできなかった。
 この時に、私は住所や名前についても書かされなかった。それ以前に先だって、そういった書類に自分で住所と名前を書いた覚えもない。自筆で署名もせず、印鑑も押していないが、国交省の職員が印鑑を勝手に押し、いわば強制的に調印をさせられてしまったのである。 
 最初から最後まで、書類や調印、契約内容について、職員から説明はまったくなかった。書類の控えも渡されなかった。建設省の職員は印鑑を押した後、終わったので帰ってよいと私に言った。
 第一出張所から自宅まで帰りながら、私は、何とも言えず、さみしい思いと、むなしい気持ちになった。こういった形で調印させられたことに対して、強い後悔と怒りが湧いた。しかし、自分が署名をしていないし押印もしてないが、契約書に実印を押されてしまったという事実があるので、もう取り消すことはできないのだろうと思った。そのことで、余計にさみしさと、むなしさが込み上げた。


3 実印を換えたことについて
 その明くる日、私はすぐ五木村役場に行き、「印鑑を換えたい」と窓口で言った。国交省が私の知らないうちに手にいれた印鑑証明を持っている限り、また次に何をされるか分からないという不安があったためだった。
 役場の窓口は女性だった。役場の人もビックリして、その後すぐに無線で村内に放送を流した。こういったこと(本人ではないのに国が印鑑証明を持っていたこと)があったのは、自分だけではなかったのではないかと思う。本人ではないのに国交省が印鑑証明を持っていることが問題になったので、放送が流されたように覚えている。
 そうして、実印を現在の実印に変更した。契約書に国交省が押印したこの出来事の、直後のことだった。

4 覚書について
 国交省の強引なやり方に疑問があったので、この後で、県の緒方寿春さんに相談した。緒方さんはその頃、県の生活再建相談所にいた。またそれ以前から、長く五木村で農業改良普及委員をされていて、親しく付き合いをしていたためだった。国交省がひどいやり方をしたことを伝えた。緒方寿春さんは、「俺が行って話ば決めてやる」と言った。
 しばらくして、緒方寿春さんが覚書を取って持ってきてくれた。代替農地造成と配分についての覚書だった。私は、覚書には五木村の立会いが必要だと思い、村に言って立ち会ってくれるよう要望した。西村村長にだったか、職員にだったかは分からないが、村は「村には農地がないから押されん」と言って断った。緒方寿春さんが「それならば、立ち会いは自分で良かろう」と言って立会人となり、もう一度覚書を取ってくれた。再度覚書を取ってくれたのは、平成8年7月のことだったと思う。


5 現在思うことについて
 こうして、私は十数枚の農地を不本意な形で手放すことになった。
 この出来事のことは、これまで人にはあまり話していない。契約書の名前を自分が書いていないことなど、誰でも見れば分かることであるし、自分で署名、捺印をしていないとは言っても、国交省に印鑑を付かれてしまったので取り消すことはできないだろうと思ったので、契約を無効にしてくれというふうには言えなかった。
 この時手放したのは5反ほどの農地だった。私の持っていた農地の8割以上であった。5反の農地を失った後は、自宅の近くに残った1反あまりの田畑を耕作し、そのほか、人に貸していた土地を畑にかえたりして、なんとか生活を続けてきた。自宅の周囲にも畑があったことが幸いだった。
 手放したのは約5反の農地だったので、覚書の中でも同じ5反(50a)の土地を確保するように国に約束させた。しかし、その後現在まで、代替農地の造成も配分も、いまだ行われていない。今では、この時の覚書の中で期日を区切っておけば良かったと後悔している。農地造成の目途は今でも立っておらず、国に聞いても「明確になっていない」というばかりで、造成場所も工事期間も造成予定面積も答えようとしない。
 このような状況で、国は残った1反ほどの農地までも、私から奪ってゆくつもりなのか。

 この時に私の同意もなく、署名や捺印もしないまま調印させられた契約は、無効になるはずだと、後になって知った。しかし、かつて私の畑があった場所は、現在では代替地が造成され、昔の面影を探すことも難しい。そこには村の人たちの生活があり、あの契約は無効だから私の畑を返せというふうに言うことは難しいだろう。
 代替地には用事がない限り、ほとんど行くことはない。しかし、私は、この場所に私の先祖の汗と苦労のしみ込んだ田畑があったことと、国がそれを私から無理矢理に奪っていったことを、忘れたことはない。

 この出来事があってから、国に対しては慎重に接しなければならないという気持ちが、それまでよりも強くなった。
 こういうふうに国にされたのは、自分一人ではないだろうと思う。人をバカにしたようなやり方であり、今でも強い怒りの気持ちをもっている。この時の国のやり方は強制収用と同じくらい、ひどいやり方だった。強制的に、本人の同意もなしにやったことだから。
 国はダムのためにならば、どんなことでもするし、住民の生活再建についてどこまで考えているかも分からないと思うようになった。
 平成11年頃にも、共有地の調印に住人の家を回る際、「書き損じたらいかんから」と言って、書き込みでない白紙の委任状などにサインさせて印鑑を国交省が付いて行ったことがあった。平成8年のことがあってからは、私はできるだけ慎重にするようにしているが、十分に説明をせず、こうして白紙委任状を取ることなどは頻繁にあったようだった。
 それからまた昨年には、私が共有地についてだけは調印をしようとして、印鑑を付こうとしたところ、国交省の職員が、共有地の契約書の中に、私の個人所有地の契約書をまぎれさせていたことがあった。印鑑を押す前に気づいたので、国交省に指摘をして私は押印せずに済んだので良かったが、また国が私をだまそうとしたことに腹が立った。権利者をバカにしているのかと思った。
 その他にもいろいろなことがあり、国に対しては不信の気持ちを持っている。そして、口約束だけでは国を信用することはできないと思っている。
 国は「農地は造成してやるから調印しろ」と言うが、私は「農地を造成してくれなければ調印をしたくない」と、今でも拒否し続けてきた。農地の近くに家を持つのが自分の願いである。以前、だまされた形で契約させられたので、国の言葉を信用できないということも大きな理由の一つである。
 私は今の場所から移転したくはない。ここであれば、自宅近くに田畑も茶も果物も水もなんでもある。そういったものを楽しみながら、住みやすいこの場所で、今のままの生活を続けていきたい。農地もない代替地では、そういった暮らしはできない。
 もしどうしてもダムができるのであれば、私は、金銭による補償ではなく、農地に対しては農地による補償を希望する。国に対してこれまでも言ってきたが、納得のいく回答をもらえないままである。

(部分)
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by from_itsuki | 2009-09-18 03:12 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

五木村雑感


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9月も連休がやってきます。

今月は、友達を連れて、五木・五家荘のとっておきの旅をプロデュース予定♪
今回はタイ人の友達も一緒だから、国際色豊か。
五木だけでも1日終わりそう・・・。
かなり楽しみです。


さて・・・

選挙結果やらなんやらで、五木村や川辺川ダムは揺れていますが、
ダムによって直接影響を受けた、
村内・損害に移転した人の心中は、
本当に複雑なものがあるだろうなと思います。


数十年間の「水没予定地指定」で、改築も増築も不自由な状態が続いて・・・
ダム賛否でコミュニティの絆も揺れて。
国が約束した代替地が完成したのは、予定よりずっと後のこと。
頭地代替地なんて、村行政がダム受入を表明して、
実に25年以上経ってから完成したし(住宅部分のみ)。

これまで、村の中では一応ダム前提ですべてが進んでいたわけだから、
(村の外からはどう見えていたにしても)
中止になるかもしれない、ということが見えてきた今は、
ついさっきまで危ういながらも見えていた「未来」が
グラグラと揺れ始めたような、そんなふうに見えるかもしれない。

受け入れられない、割り切れない気持ち。

・・・

茂さんは、ダムが中止で喜んでいいかどうか分からない、と言われていた。

ダムはでけんならでけんがよか。
ばってん・・・と。

中止になるなら、うれしい気もする。
でも、移転して行った人のことを思うと、手放しでは喜べない。

・・・以前、そんなことを言われていました。



五木に親しい知人友人を持つ者としても、
一市民としても、いろいろと考えますね。

一体、なんだったんだろう。と。


根底から反省して、こういうことを繰り返すべきではない。
基金だとか、特別措置法とかも大事だけど、
国も県も、川辺川ダム問題によって
村や関係者が支払った代償と、苦しく長い経験を教訓にして、
もう二度とこういうことが起こさないでほしい。

そんな気持ちがします。


国も県も村も同じ気持ちで合意できて、
もう一度スタートラインに立った後は、
五木も自分の足で立ち上がって、未来に進まなくちゃね。

今度こそ、自分の手で未来をつかまなくちゃ。


コミュニティの疲弊と、
折からの高齢化、林業不振。
いろいろ課題はありますが、
それでも、いいものがいっぱいある地域だと思う。

哀しいのは、
五木はいいところだよ、住んだらいいよ、
という地元の人があまりいないような?
私が出会ってないだけかな。


いいところなのにねぇ。
きれいですてきなところなのにねぇ。
おいしくて、健康に良さそうな食べ物がいっぱいあるのにねぇ。
豊かさは給料の金額だけじゃないって、気づかせてくれるのにねぇ。

こういうのに、旅人が触れられる機会があったら、
きっとみんな好きになるはず。
感動するはず。

触れられている私は幸せものです。



ダムに揺られ、時代の大きな変化に影響を受けて、
この半世紀の間に変わった部分もあるけれど、
数百年にわたって、暮らしてきた人間の営みが築き上げたこの地域は、
たくましさとか、美しさとか、誠実に生きることとか、
自然の中で生きることの豊かさを感じさせてくれる。

と思う。


100年後の五木村も、
美しいままで、残っていてほしいなぁ。

五木のことを好きだ、と誇りに思う、
地元の人がたくさんいる地域であってほしいなぁ。



(写真=下手公会堂の中に残された資料。2008年3月)
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by from_itsuki | 2009-09-12 23:21 | Trackback | Comments(2)


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