(記事)水没予定地の「中間土場」、五木村づくり計画検証


■水没予定地の「中間土場」 木材搬入始まる 五木村
http://kumanichi.com/feature/kawabegawa/kiji/20160514001.xhtml
 五木村の基幹産業である林業の振興を目的に、川辺川ダム水没予
定地に整備された「中間土場」で11日、木材の搬入が始まった。
 県と村が策定した「ふるさと村づくり計画」の2015年度実施
事業で、村が頭地大橋下に造成した。面積は約9550平方メート
ル。
 村有林などから伐採された、バイオマスや合板向けの主に「C材」
と呼ばれる木材を集積して仕分けし、需要に応じて効率良い販売を
目指す。
 事業主体は熊本木材上球磨支店(多良木町)で、県の補助を受け
運営を担う。椎葉浩一支店長(50)は「山の持ち主に少しでも利
益を還元できるように取り組んでいきたい」と話した。(小山真史)

熊本日日新聞 2016年05月14日


■「住民“村の振興実感”45%」  収入や人口減少に不安も  五木村づくり計画検証
http://www.hitoyoshi-press.com/local/index.php?intkey=12846
 熊本県は11日、五木村の振興へ向けて村と共同で策定している
「ふるさと五木村づくり計画」に基づくソフトとハード事業につい
て、昨年度までの実績と検証結果を同村議会に報告した。
 アンケート調査による住民評価は、住民回答者の45%が「振興
を実感」しており、事業者は28%が「満足」だった。
 同計画では、安心して住み続けることができる「誇れるふるさと
五木村」を目標に、雇用拡大と所得向上を目指す働く場づくり、安
心して住み続けられる村づくりへの暮らしづくり、人材育成のひと
づくりを3本柱に各種事業を展開。
 計画期間は、平成21年度から同30年度までの10年間。ソフ
ト面は、県が設置した五木村振興基金(総額10億円規模)を活用。
ハード面は、生活再建基盤整備事業(同24年度~30年度)とし
て県が財政支援で総額50億円から充当して、年次事業を展開して
いる。
 昨年8月に開かれた生活再建へ向けた国、県、村の3者協議の中
で、村議会側が県に対し「村民として事業効果の実感が湧かない。
村民の幸福量の検証を」と求めていた。
 これを受けて、県は昨年11月に事業効果のアンケート調査を実
施。7年間の事業実績とともに結果を取りまとめ、同日に開かれた
議会全員協議会で報告した。

ソフト事業に7億円投資
 同計画のソフト事業は、同21年度から昨年度までの7年間で約
7億円を投資。
 主な事業実績では、観光客誘致により同27年度の観光客総数が
17万6000人で、同19年度に比べて約10万人の増。林業振
興では、林道整備や林業専用住宅の建設などを実施し、同27年度
木材生産量は1万5000立方㍍で、同20年度より80%の増。
企業はバンジージャパンなど3社を誘致した。
 また、移住・定住化へ村営住宅や空き家改修住宅の整備などを行
い、同21年度から昨年度までに33人が移住・定住。高校生まで
の医療費無料化、保育料軽減など子育て支援を拡充した。
 ハード面の基盤整備では、水没予定地の五木源パーク、携帯電話
基地局、村営住宅、林道、シイタケ生産団地などの整備を行った。

15歳以上にアンケート
 事業効果アンケートは、村内の15歳以上の住民1104人(有
効回収数552件、回収率50%)と、村内に事業所を置く65事
業者(有効回収35件、回収率53・8%)を対象に実施。
 事業評価では、住民の場合、1位が地域福祉増進事業、2位が子
育て・定住支援対策事業、3位が新緑祭り・子守唄祭開催事業など。
村の振興が進んだとの問いでは、「実感している」が45%、「実
感していない」は13・4%。
 実感の内容は、観光客増加、五木源パークや道路などの基盤整備、
携帯電話不感エリア解消などを評価。実感がない層からは、収入に
つながっていない、人口減少が続いているなど。
 一方、事業者の1位は商工業振興対策事業、2位は有害鳥獣被害
対策事業、3位は子育て・定住支援対策事業。
 事業展開で「満足」は28%、「物足りない」が20%。観光客
の増加による売り上げ効果は「あった」が11%、「なかった」は
34%となっている。

「計画期間の延長を」
 全員協議会には、全議員10人と和田拓也村長ら執行部など約3
0人が出席。
 西村久徳議長は「昨年の3者協議で疲弊した村民の幸福量検証を
お願いした。蒲島郁夫知事は良くなったと言うが、議会では疑問視
した意見があった。計画もこのままでいいのか、見直しなどの議論
が必要。待ったなしの大きなウエートを持つ。忌憚のない意見を」
と呼び掛けた。
 そのあと、川辺川ダム対策課の吉野昇治課長がこれまで取り組ん
できたソフトとハード事業実績と効果、アンケート結果の概要につ
いて1時間半にわたり説明。
 議員からは「雇用の場の確保がポイント。帰って来たいが働く場
がなく、雇用対策の取り組みを」「定住化には雇用が必要。Iター
ン、Uターンを重点的に」などと雇用創出をはじめ、「平成30年
度以降も計画を継続してもらわないと村の再建はできない」と、計
画期間の継続を求める声が上がった。
 吉野課長は「企業誘致へ1000社にアンケート調査したが、消
費地から遠いなどの回答だった。ただ、観光客は増えており、村内
事業者の事業拡充、起業により経済効果に変えていく必要がある。
林業は従事者も多く、そこで雇用ができないかと考える」などと答
えた。
 なお、村では同計画の同28年度実施計画に関する住民説明会を
今月27日の頭地地区を手始めに来月7日まで村内5会場で開催す
ることにしている。
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by from_itsuki | 2016-05-16 14:15 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

(日記)宅地造成後の配分のことであるが

宅地造成後の配分のことであるが、先祖代々の農地をとられ、農地を持っていた人たちは、山の片隅においやられた、としたらどうだらう、泣くにも泣けないざまだらう。

村長は代替地ができればいちはやく役場と学校を作ると言うて、おられるが、常識の有る人ならば代替え地提供者を優先に思うだらう

おぉくの人が住んでこそ役場も学校も必要なのだから、

村長は新しい村づくりをさかんに言うて、おられるけれども新しく家を新築しただけで、新しい村づくりになるのだらぅか、

給料生活者はそれでもよかろう、

農業者は農地を取られてなんで生活してゆけるのだらうか、

日雇い労働者に仕事がこれから先あるのだらうか、

今 同和と言う言葉が、さかんにつかはれているが、同和とは、はたしてどうゆうことなのだらうか、

水没者を裏切り、ろとおに迷まよわせて、同和を論ずる資格が、あるのだらうか、

自分達さえよければと言う心が見え見えである


(10~15年ほど前の尾方茂さんの日記より)

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写真=2007年7月17日、ゆくりを取る茂さん
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by from_itsuki | 2010-02-11 09:56 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

(日記)一、新しい村作りとは

一、新しい村作りとは

一、生活はなにによってなされるのか

一、土地の配分については提供者優先で有ること。

一、これから先農地を売た人達はどうして生活して行くのか。

一、宅地造成五年、農地造成五年の間、農業者 日雇い労務者は
  なんで生活してゆくのか、仕事はあるのか。

一、生活の保証は何年を基準に保証しているのか。

一、


(平成8年頃尾方茂さんが書かれ、「建設省、村への私の言分」として整理されたメモより)

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写真=2009年10月3日移動販売車とチユキさん
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by from_itsuki | 2010-02-08 01:36 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

茂さんの話(畑のこと)

2009年1月25日。
茂さんに話を聞く。

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○土について
根に生えるしろもんは、カリ肥料よかで。
ダイコン、ニンジン、ゴンボウ、カライモなど。
ハクサイなんかはチッソ肥料がよかばってんなぁ。

タケノコ、ニンジン、ダイズ・・・そぎゃんとの売れる時代がまたくればよか。

○イモガラについて
サトイモん茎たい。茎を皮むいてな、それをば干して。
何に入れたっちゃよかばってんな。漬物とかいろいろ。
イモもなる。イモガラのイモはサトイモんごたっと。

○カライモの保存について
ツボに入れる前に、一日くらいは干す。
昔はカライモ入れるとは、山の片隅に穴掘ってイケよった。
1メートル以上掘って、藁やら敷いて、イモ入れて藁かぶせて、上に土かぶせる。30センチ以上。
秋に掘って、約1日干してすぐ埋める。
食べるのは、土あげて掘って食べる。

どこにイケたか、目印ば作らんでも、ツボ作っとるのは分かっで。
1ヶ所か2ヶ所。
1年間食べる。寒かで芽出きらん。

今はやっぱ堆肥の中に藁ひいて。堆肥の中に藁ひいてカライモを入れてまたイケる。
周囲に藁を立てかける。
大きさは1メートルぐらいになる。それを「カライモツボ」ち言う。

○生姜の保存について
生姜もカライモの上に袋に入れてイケたりする。混ざらんように。
ビニル袋には入れられん。網んごたっとの、空気の出入りするようなんで、藁づとんごとして入れたりもする。

○ジャガイモ
ジャガイモは埋めず、干す。

○サトイモ
サトイモもツボんごとしてイケておく。
いくらか水分ないと、サトイモは腐る。藁なしでそのまま土かぶせる。
なごう置いておけば、芽の出っばってんが。夏にあつうなれば植える。


○干し野菜
・干しダイコン
・干しゼンマイ
・干しシイタケ
・コショウ(唐辛子)
・干し柿
・ニンジンは干さんな。植えとって、いい時に掘って食べたり。
・今のコショウは種にしかならん。あまり食わん。小さいコショウは、大きいコショウより辛か。
・柚子は干さん。自家用。ある時に使うのみ。加工せんかった。柚子ゴショウの作り方分からんとだろ。こっちはあんま食わんごたる。
・餅は干さん。あんまない。小さい頃はなく、高級品だった。
・トウキビは、取って干しておいておくこともある。食べるためや、種にしたり。昔は粉にして団子にしたりした。トウキビのみの団子や、小麦粉を入れた団子。トウキビは、量が少なかで、あまりそういうことはせんかった。モチトウキビとそうでないものもあった。昔のトウキビは大きかった。

○「百姓は何でも・・・」
・食い物がなかった時代に、何でも作って食べていた。
・食い物ない時もあった。作物がようできんかった時など。山が少ない、干ばつとかいろいろ。
・「百姓は何でも作っとかんば分からん」と言われた。(他の野菜などは気候が合わずに取れなくても)何かよかもんもあるかもしれん、ち。
・例えば今年のように、大豆とかようでけんかった、実が入らんだった年でも、小豆は割合よかった。季節によってようできる年とそうでないことがある。同じ時期に植えても違うことがある。大豆が悪かったのは堆肥入れすぎか。よう分からん。


・小豆、大豆は干して、今はカンカンに入れてる。昔はカマスに入れたりしていた。
・昔は何でもカマスに入れてた。ニンジン、ゴンボも土にイケてたが、あまり作らん。カライモとかは多かばってんが。

○ゴボウ
・昔は、ゴンボウをよく分けてくれと言われてた。一貫目ずつ、藁かカズラなんかでくびって埋めてた。10束か20束、ゴンボとかできよった。
・今は作らん。土地の良うなかで。よかとこあれば作らんと。昔はその(家の)上にゴボウの土地があった。ぎゃん土地はもうなかもん。シラスでよか土だった。

○在来のイモ?
・昔はザイライのイモがあった。サトイモんごたっとの。今はない。
・イモなんか、今んと(今育てている種類)の方がよかごた。ソバはザイライの方がよか。今んとより丈の低かで風でん倒れん。

○赤大根
・一時は赤ダイコンば作りよらしたが、今はない。よその赤ダイコンのごと大きさもないし、色も濃くならん。

○カブ
・カブは作らん。作ってみたらよかろうばってんがなぁ。

○ムギ
・小麦、ハダカムギ、アラムギ。
・アラムギは、裸麦のように皮むけんとたい。むかすとに苦労しよった。臼に入れて何回も搗いてやらんばむけん。
・ハダカムギ、アラムギは、米と一緒に炊いて食べる。昔はムギだけで炊いて食べていた。
・昔はハダカムギはよう煮えんで。一度ゆがいて煮てまた炊けば食われる。
・押し麦、丸麦にしたりしてた。押し麦にしたら、普通に炊いたりできる。丸麦は普通の精米。
・押し麦にするには、精米所に持っていけばできた。機械欲しいと思っていた。そのままつぶすと割れるので、シメして水分の具合見てする。手間がかかる。今はあまりしないが、どこどこでするとも聞く。

○ビャー(農具の一つ)
・ソバはビャーでアヤス(叩く)。ブリビャーもある。
・ビャーは、山に行って枝見て「こりゃビャーになっどなぁ」と言って自分の良かごと加工する。
・枝をカズラで縛ったり、焼いたりして曲げる。
・虫がついて、腐れて折れることはある。2つあった方が良い。

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(写真=2008年8月31日)
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by from_itsuki | 2010-01-29 21:43 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

(日記)建設省は最初は

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茂さんの古い日記より。
15年~20年ほど前に書いたものだそうです。

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建設省は最初は水没者の要求するだけは宅地も農地も造成してやる。と言うていたのが、こんどは農地は頭地代替え地に十町歩作る。と、言いだした、ところが、今えは水没地内に十町歩だと言いだした。土地の所有者を馬鹿にした言いかただ、

宅地造成がしたいならば、第一に土地の所有者の生活再建を考えるべきだと私は言いたい。
山の動物達が、わるさをして被害が出ていることも、動物の生活の場を無くした人間が悪いのではないのだらうか、

同じ人間でありながら、自分自身の欲望のために、人を落とし入れ国の為とか、下流住民の為とか、五木村の為とかと、言うことが 土地所有者を 食い物にするといえるのではないだらうか、

自分を評価されたい為にわ、人を犠牲にしてまで、評価されたいかと言いたい。

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(写真=庭の手水のそばで、草刈鎌を研ぐ)
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by from_itsuki | 2009-09-18 09:32 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

(日記)私は家を守る為には

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茂さんの古い日記から。

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私は家を守る為にわ先代が残してくれた土地は一坪たりとも手放してはならないと思つてきた、先代の人達も、自分の子供達のためにと、それを守り続けて来たのだと思う。それが山で有り畑けである。

自分一代にも色々の思出はある。
米のご飯がほしさに、銀行から金を借り、掛橋谷から水を引き、畑を田んぼに作り替えて工事に十年余りの歳月を費やしたことも、思いでの一つである。父母の苦労、先祖の汗がいっぱいはいつた、山で有り畑で有る。
それを思うと、自分達の苦労は話すのも恥ずかしい、すべてが子供の為未来の為と、植林でもおなじである、自分の代ではお金にはならなとわかっていても 子供の代には良くなることを信じ未来えの生活の安定を計つてのことである。それを守ることいよつて自分達の家が末代までも続き、お互いがその自覚を持つことによつて、五木村が形成されてゆくのだから。

そして私の死後もそれを守つて貰わねばならない、ささやかな土地ではあつても、それが家名を守るひとつの任務であり仕事だと思う。辛いことだと思う、だが先代の人達はそれをやりとおしてきたのだから。
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(写真=2009年5月、トウキビをゆがくのにクドに火を薪をくべる)
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by from_itsuki | 2009-09-18 04:19 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

(意見書)住みやすいこの場所で今のままの生活を

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(炭焼窯の前で照れる茂さん。炭焼小屋は移転のためやむなく壊されたけれど、窯の中には、10年以上前に焼いた雑木の炭が、まだ入ったままになっているそう。2004年12月)


世の中は動いていますが、
茂さんの周囲でここ数年に起きた、
さまざまな場面場面、いくつもの出来事を思い出します。


無口な尾方さんですが、
ここ数年で、国交省に意見書を出したことが2回。

1回は、2005年5月。
知らないうちに、田んぼに引いていた水の流れを変えられていたり、
自宅裏手に迫る森が丸裸にされ、飲み水に使っていた水路へ石や土砂が流れ込んだり、
亡くなられたお父さんが植えた墓地の桜が伐採されてしまったりした頃。

もう1回は、その年の7月。
その他数十件の土地等と一緒に、
国が強制収用しようと、尾方さんが暮らす家と田畑を熊本県収用委員会審理にかけた時。


ぽつりぽつりと、話される言葉を書き留めながら、
さまざまな出来事があったことを知りました。
当時、自分の土地を守ろうと、茂さんも必死でした。
近くで見ていて、どうしたら良いだろうかという、長い長い苦悩の最中にあったように見えました。


ここ3週間ほど、五木へ行けていませんが、
茂さんは、どんな思いで見つめられているだろうかと思います。


たぶん、いつものように、
黙々と畑の石を拾っているはず。(笑)

そして私を見つけたら
「あらー、長う来んだったな。」と笑顔を見せて、
「茶ーども飲みない。」と、台所に案内してくれるんだろうなぁ。

何気ない、日常のありがたさ。


これからさまざまなことが起きるでしょうが、
茂さんや、茂さんと違う意見の方々も含めて、
地元の人が納得できる形になるのが、一番良いです。


下記は、やや古いですが、2005年7月21日付、尾方茂さんの意見書からの抜粋です。
あまり語られていない言葉もありましたので、紹介します。

本当に、走馬灯のように、あの当時のことを思い出します。
台所で一緒にお茶を飲みながら、いつも田畑のこと、村の将来のことについて話されていました。


----------------

 川辺川ダム計画のために、私の家や農地が強制収用されようとしています。私が先祖から受け継いできた、大切な田畑と自宅です。私が現在まで調印をせずに来たのは、補償を受ける前に、まず代替農地を造成してほしいという気持ちからです。
 国土交通省は農地については造成してやると言いますが、具体的なことは何も示さず、口約束でしかありません。国土交通省に対しては、不信の気持ちがあります。平成8年に頭地代替地造成用地として補償を受けた際、国は私に対し、強制的なやり方で契約を行いました。
 これらのことについて、以下の通り、意見を申し上げます。


1 私は、頭地代替地の造成予定地に、十数枚の畑や山林を持っていた。主に麦、ソバ、小豆、大豆などを作ってきた畑だった。畑だけでなく、柿や栗、ウメ、ゆくり、ぽーぽーの木など果物の木、茶や梶の木もあり、杉を植林した土地もあった。私はこの農地で自家消費用の野菜や果物を作ったり、現金収入を得るための茶や梶の木を育てたりして利用してきた。
 私は若い頃から、ダムのために農地を売ることにはどうしても反対だった。代替農地の目途もないうちに、私たち百姓が農地を失えば、どうやって生活していくのかという、生活不安の思いからであった。
 しかし、昭和59年に地権者協議会がダム反対裁判を取り下げ、村全体がダムを前提として進んでいく中で、「ダムができるのであれば、代替農地造成の目途がきちんと立てば、農地を手放すのは仕方ないのかもしれない」というふうに考えるようになっていた。当時の建設省に対しても、代替農地のことを要求していた。代替農地のことがはっきりしてからでなければ、調印することはできないと思っていたし、自宅近くに農地が欲しいということと合わせて、ずっと建設省にそのように希望を伝えていた。
 

2 契約書への調印について
 平成8年春頃に、国交省(当時の建設省)から印鑑を持って来るようにという呼び出しがあった。調印のことについての説明は一切なく、ただ実印だけ持ってくるようにという内容だった。私は、呼び出された理由はよく分からなかったが、印鑑を持ち第一出張所へ行った。
 第一出張所へ行くとまず、建設省の職員から「印鑑を貸せ」と言われた。職員は、紙に印鑑を試しについてみてから、「これは違う。実印ではない」と言った。私が「これは実印だ」と言い返した。すると職員は、どこからか私の印鑑証明を出してきて、今ついた印影と、その印鑑証明を見比べてから「確かに実印だ」と言った。
 国交省の職員が、自分の印鑑証明を持っていたことに私はびっくりした。私から国に印鑑証明を提出した覚えはなかったし、たとえ国といえども、本人が知らないうちに印鑑証明を取ることはできないはずだが、なぜ持っているのだろうか、と思った。
 それから国交省の職員は、私の印鑑を持ったまま、契約書の書類にポンポンと押印をしていった。あっと私が思った時には、すでに印鑑は押されていて、止めることすらできなかった。
 私が書類の内容を確認しようとのぞき込んだら、国交省の職員は「見ることはいらん」と強く言い、私には見せてすらもらえなかった。自分の印鑑を押された書類だったが、内容も見させないという、国の横柄な態度に腹が立ち、その場で職員の手からその契約書を奪い取り、破り捨ててやろうかと思ったほどだった。あっと言う間に印鑑を押されてしまい、どうすることもできなかった。
 この時に、私は住所や名前についても書かされなかった。それ以前に先だって、そういった書類に自分で住所と名前を書いた覚えもない。自筆で署名もせず、印鑑も押していないが、国交省の職員が印鑑を勝手に押し、いわば強制的に調印をさせられてしまったのである。 
 最初から最後まで、書類や調印、契約内容について、職員から説明はまったくなかった。書類の控えも渡されなかった。建設省の職員は印鑑を押した後、終わったので帰ってよいと私に言った。
 第一出張所から自宅まで帰りながら、私は、何とも言えず、さみしい思いと、むなしい気持ちになった。こういった形で調印させられたことに対して、強い後悔と怒りが湧いた。しかし、自分が署名をしていないし押印もしてないが、契約書に実印を押されてしまったという事実があるので、もう取り消すことはできないのだろうと思った。そのことで、余計にさみしさと、むなしさが込み上げた。


3 実印を換えたことについて
 その明くる日、私はすぐ五木村役場に行き、「印鑑を換えたい」と窓口で言った。国交省が私の知らないうちに手にいれた印鑑証明を持っている限り、また次に何をされるか分からないという不安があったためだった。
 役場の窓口は女性だった。役場の人もビックリして、その後すぐに無線で村内に放送を流した。こういったこと(本人ではないのに国が印鑑証明を持っていたこと)があったのは、自分だけではなかったのではないかと思う。本人ではないのに国交省が印鑑証明を持っていることが問題になったので、放送が流されたように覚えている。
 そうして、実印を現在の実印に変更した。契約書に国交省が押印したこの出来事の、直後のことだった。

4 覚書について
 国交省の強引なやり方に疑問があったので、この後で、県の緒方寿春さんに相談した。緒方さんはその頃、県の生活再建相談所にいた。またそれ以前から、長く五木村で農業改良普及委員をされていて、親しく付き合いをしていたためだった。国交省がひどいやり方をしたことを伝えた。緒方寿春さんは、「俺が行って話ば決めてやる」と言った。
 しばらくして、緒方寿春さんが覚書を取って持ってきてくれた。代替農地造成と配分についての覚書だった。私は、覚書には五木村の立会いが必要だと思い、村に言って立ち会ってくれるよう要望した。西村村長にだったか、職員にだったかは分からないが、村は「村には農地がないから押されん」と言って断った。緒方寿春さんが「それならば、立ち会いは自分で良かろう」と言って立会人となり、もう一度覚書を取ってくれた。再度覚書を取ってくれたのは、平成8年7月のことだったと思う。


5 現在思うことについて
 こうして、私は十数枚の農地を不本意な形で手放すことになった。
 この出来事のことは、これまで人にはあまり話していない。契約書の名前を自分が書いていないことなど、誰でも見れば分かることであるし、自分で署名、捺印をしていないとは言っても、国交省に印鑑を付かれてしまったので取り消すことはできないだろうと思ったので、契約を無効にしてくれというふうには言えなかった。
 この時手放したのは5反ほどの農地だった。私の持っていた農地の8割以上であった。5反の農地を失った後は、自宅の近くに残った1反あまりの田畑を耕作し、そのほか、人に貸していた土地を畑にかえたりして、なんとか生活を続けてきた。自宅の周囲にも畑があったことが幸いだった。
 手放したのは約5反の農地だったので、覚書の中でも同じ5反(50a)の土地を確保するように国に約束させた。しかし、その後現在まで、代替農地の造成も配分も、いまだ行われていない。今では、この時の覚書の中で期日を区切っておけば良かったと後悔している。農地造成の目途は今でも立っておらず、国に聞いても「明確になっていない」というばかりで、造成場所も工事期間も造成予定面積も答えようとしない。
 このような状況で、国は残った1反ほどの農地までも、私から奪ってゆくつもりなのか。

 この時に私の同意もなく、署名や捺印もしないまま調印させられた契約は、無効になるはずだと、後になって知った。しかし、かつて私の畑があった場所は、現在では代替地が造成され、昔の面影を探すことも難しい。そこには村の人たちの生活があり、あの契約は無効だから私の畑を返せというふうに言うことは難しいだろう。
 代替地には用事がない限り、ほとんど行くことはない。しかし、私は、この場所に私の先祖の汗と苦労のしみ込んだ田畑があったことと、国がそれを私から無理矢理に奪っていったことを、忘れたことはない。

 この出来事があってから、国に対しては慎重に接しなければならないという気持ちが、それまでよりも強くなった。
 こういうふうに国にされたのは、自分一人ではないだろうと思う。人をバカにしたようなやり方であり、今でも強い怒りの気持ちをもっている。この時の国のやり方は強制収用と同じくらい、ひどいやり方だった。強制的に、本人の同意もなしにやったことだから。
 国はダムのためにならば、どんなことでもするし、住民の生活再建についてどこまで考えているかも分からないと思うようになった。
 平成11年頃にも、共有地の調印に住人の家を回る際、「書き損じたらいかんから」と言って、書き込みでない白紙の委任状などにサインさせて印鑑を国交省が付いて行ったことがあった。平成8年のことがあってからは、私はできるだけ慎重にするようにしているが、十分に説明をせず、こうして白紙委任状を取ることなどは頻繁にあったようだった。
 それからまた昨年には、私が共有地についてだけは調印をしようとして、印鑑を付こうとしたところ、国交省の職員が、共有地の契約書の中に、私の個人所有地の契約書をまぎれさせていたことがあった。印鑑を押す前に気づいたので、国交省に指摘をして私は押印せずに済んだので良かったが、また国が私をだまそうとしたことに腹が立った。権利者をバカにしているのかと思った。
 その他にもいろいろなことがあり、国に対しては不信の気持ちを持っている。そして、口約束だけでは国を信用することはできないと思っている。
 国は「農地は造成してやるから調印しろ」と言うが、私は「農地を造成してくれなければ調印をしたくない」と、今でも拒否し続けてきた。農地の近くに家を持つのが自分の願いである。以前、だまされた形で契約させられたので、国の言葉を信用できないということも大きな理由の一つである。
 私は今の場所から移転したくはない。ここであれば、自宅近くに田畑も茶も果物も水もなんでもある。そういったものを楽しみながら、住みやすいこの場所で、今のままの生活を続けていきたい。農地もない代替地では、そういった暮らしはできない。
 もしどうしてもダムができるのであれば、私は、金銭による補償ではなく、農地に対しては農地による補償を希望する。国に対してこれまでも言ってきたが、納得のいく回答をもらえないままである。

(部分)
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by from_itsuki | 2009-09-18 03:12 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

(日記)ますます寂れてゆくであらう過疎の村作りをしながら

(茂さんの古い日記から。
村民大会の前に作られたものだそう。
しかし、当日これを読み上げることはなかったそうです)

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生活再建対策協議会の発足を

ますます寂れてゆくであらう過疎の村作りをしながら新しい村作りもないものだらう、

水没後、頭地代替地に移転しようと、思つている皆さんえ、お尋ねしたい、

生活再建のめども立たず出ていつた農地所有者の人達にどのように思つておられるのでせうか

しかたがない、これが世の中だ、それだけお金を取って出たでわないか、と言われるかもしらない、頭地代替地に移転を望んでいる人で一人でも、こんな気持ちが有る人がいたら、私くしわ農地の調印わしたくない、農業をして来た者にわ農業の道しかない、

川辺川ダム問題が表面化してから、三十年と言われている、その間も、生活再建の話わ最初から有つたはづ、それが、未だに、できていないのは、なぜでせうか、これこそ村当局の怠慢だと言われてもしかたがない、

昔は、自分の土地を売て焼酎を飲み、家までも無くした人達のことを、よく聞かされたものである、だが今は川辺川ダム建設によつて、農地を売り、家を売て出ていった人達、
仕方がないと、言う、気持ちからだらうか、はたして、これでいいのだらうか、

ここにも問題が有るような気がする、昭和六十二年十二月の事、ナゾの一千万円である

今だに、すっきりしないまま、今日に至つている、それと気になるのは、水没者団体の旅行である研修旅行をしょうとして、一年越しぐらいにわ行ておられるようだ、金の出所は、元は建設省から出たものであらう、旅行も今わ派でに北海道や沖縄旅行である、これでわ、土地や家も売らねばならなくなるのも、当然である、昔の人が焼酎の欲しさに土地や農地を売たのと、同じでわないだらうか

問題は水没者だけでわなく、村長、村議会議員の人達も例外でわ無いと思う、住民を守るべき立場の人達が金権政治の渦中に村民をも巻き込み、新しい村作りとは、なんたる、お粗末な、話だらう。

私の家にも建設省から保証交渉に何回もこられた、

その時の話だが、村が生活再建の為の農地が、是非とも必要だ、と言うことであれば農地も他に出来たと思う、まして議会で十町歩の約束がなされた以上今となつては農地の造成は外には出来ないあらう。と言うことであつた、

アンケート調査もして、農地の必要制はわかつていたであらうに、建設省で農地の造成が外にできないとすれば、村で農地の造成をし水没農民に返す責任があると思う

私達百姓は農地無しでは生きてわうけない、

食うことができれば、なんとかなる、農地を無くした者に、なにができるのでせうか、

私達一代なら保証金で食うことができるかもしれない、然し、未来の子供や孫達になにを残せと言うのでせうか、これを考える者こそ村である、村長であり、議会議員であり、役場職印の任務だと思うのだが。

私は、川辺川ダム事業審議委員会が二月十七日に有ると聞き、これを一つの契機として完璧な生活再建の道が組み立てられ、そして今日以上の発展する村と村民の生活が保証される道を開くために、生活再建対策協議会のような会の発足をも考えて頂くことも一策かと思うております。

最後に私に対しても、ご意見や御批判があれば是非遠慮無くお聞かせ願いたいと存じております。

五木村甲
尾 方 茂  六十八才

(注:裏面に「平成八年二月十二日」と記入あり)
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by from_itsuki | 2009-07-10 17:30 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

(日記)活気のある村にするにわ

(茂さんの古い日記より)

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 活気のある村にするにわ、先代が残してくれた、財産を後継者にのこしてやることが、我が家の発展であり、豊かな暮らしのできる、基本だと教えられた。

 自分一代ならば田も畑も要らないだらうが、自分達の子供達の為に(未来)是非とも必要とする時が必ずやつて来る、農地だけは、自分の代で確保しておかなければ、悔いをのこすことになる。

 今は世の中がどこか狂つているような気がする、住民を守るべき人達が住民を苦しめ村を追い出して、代替地を作ることは私達の任務だと平気でゆう、昔の軍国主義さながらである。

 村に生活の再建策があればまだいい、だが、今わ何もないと言う、はたして村はどうなるのであらうか。
国は、村は、住民の生命と財産を守つてやる義務があるのではないだらぅか。

 金と名誉の為ならば平気で人を裏切り、それでいて自分の言い分を正当かしようと、躍起である。

 五木一中PTA新聞のなかに、同和教育担当糸山常利氏の シリーズ人権「差別」をしているのは誰なのでしょう。との中に「部落差別」をしているのは誰なのでせうか。
なくす努力をしなければ、ならないのは、誰なのでせうか。
「人権は、人が人であるだけで、認められるべき」とあります。

 頭地代替地だけを造成して家だけを作っただけで村は良くなるのでせうか。

 給料生活者はいいとしても、日雇い労働者、農業労働者はどうすればいいのでせうか、

 水没者いがいの人達にもいえることだと思います、林業で生計を立ている人達でも、今木材が下落ちしている現在、むらはどう対処しようと言うのでせうか。

 私は川辺川ダム建設によつて水没を余儀なくされ、又頭地代替え予定地に、農地を持つ農民ですが、生活の、めど、もたたないまま、農地の調印を迫られております。

 私は川辺かわダム建設に、反対する者ではありませんが、農民とし生活再建の為の農地だけわ、確保して欲しいと思っています。

 平成七年十月六日

                 球磨郡五木村
                      尾  方  茂
                         六七才


(写真=5月初め、445号線沿い、九十九瀬(つづらせ)あたりに咲いていたの桐の花)
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by from_itsuki | 2009-07-10 17:16 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)

(日記)ダム建設が未来を創造した仕事であるとすれば

(茂さんの古い日記から)

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ダム建設が未来を創造した仕事であるとすれば、ダム建設によつて、失われようとしている、宅地や、農地も又、未来を考えた造成で、なければならないだろう。

農地も又できるかぎり、自分達の家の近くで、野菜などでも、いつでも取りに行ける場所でなければ意味がない、車が便利でいいからどこでもいいと言う人も居るかもしらないが、私わそうわ思わない、一回、か二回の車の通勤ならいざ知らず、自分達一代だけでわなく、子供や孫達の代までが、くり返さなければならないとすれば車の燃料費だけでも馬鹿にならないだらうし、農地を自分の物として運営してゆくことはむづかしくなるだらう。その為にわ宅地造成がなされ農地造がえきて配分がなされた時、はじめて家を立てる場所も決まるのではないだらうか。

給料生活者にはなんでもないと思われがちだが、私達農業者は全ての事を考慮した上でなければ将来悔いを残す事になるのではと思う。

高度成長の時代が来、汗を流して働くと言うことを私達大人は忘れかけている、金さえあれば、なんでも手に入る、自分さえ良ければという考えからか、
周囲の人迷惑をも考えず、私利私欲の為に、駆け引き いれくり、ごまかし、はつたり、騙し、それが当然のように思う様になつてきた、楽をすることが当たり前で汗水流して働く人を馬鹿だ要領をしらん、計算をせん人だと言う、

こういうことが国の政策や村政の中にまで利用されては困るのである

役人は知恵を出すのが仕事でわあるが、悪い知恵を出し住民を不幸にしていいはずがない。
今は若い未婚者が多くなつてきた、昔は親が結婚できない子供には相手を見つけて結婚させてくれた、だが今の親達で十人に一人でもそんな親がいるだらうか、自分の結婚相手は自分で捜せと、いつたぐわいだ、子供達の理想が高くなつたことも原因の一つでわ有るが、それを説得くする力の無い親にも責任が有るのではないだらうか。

今までわ遺産が有る人でも親の遺産を利用せずに生活が出来た、その為か自分の家の山や畑が何処に有るのかも、知らない人が多くなつた様に思う、それは親が子供に教えてやらないゆえんであつて、教えることが馬鹿らしい、面倒だ、山に登ることさえ苦になる時代だから、はたして、高度成長の時代がいつまで続くのだらうか、

新しい村作りと言えば、聞こえはいいが、新しい家を立てただけで村は良い村になるのだらうか、生活の再建なしで。 五木に生まれ育つた私にわ、五木で暮らしたい、未来の有る村にして後継者に喜んでもらいたい、私達のような苦労はさせたくないと思ている。

今、我々も考え、なをさなければならない時が来ているのではないだらうか。



(写真=2009年5月の食卓)
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by from_itsuki | 2009-05-28 10:21 | 茂さん語録 | Trackback | Comments(0)