過疎になった背景とこれから。

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五木村の高齢化率は県内トップの46.5%
(次いで山都町(46.0%)、美里町(42.9%)、球磨村(42.2%)、湯前町(41.7%))。

国勢調査で最も多かった人口は、昭和35年の6161人。
ダム移転が始まる直前の昭和55年で3056人。
現在は1136人となってます。

明治時代は約2800〜3500人、大正から戦後にかけて4500〜6000人に増加した理由は、銅山開発や、チッソ・九電の水力発電所建設や操業開始、炭焼きのための村外からの転入者、林業振興などによるものと言われています。

昭和38年からの3年連続水害と山津波(戦後の全伐による山林荒廃に異常豪雨が重なった)と、薪炭から石炭・石油・ガスへのエネルギー転換によって、その後、生業としての炭焼きは一気に激減。

昭和41年に川辺川ダム計画が発表され、住民の4割がダム移転対象者となり、56年に一般住民の移転補償基準が一部定まると、まだ代替住宅地の完成目処が立っていなかったこともあり、一気に村外への離村が進みました。

その後代替地への移転も進み、平成21年にダム中止発表を経て、ソフトハード両方での地域作り計画に取り組んで現在に至ります。

全国の過疎の村が辿っている道を、五木村ではダム計画という要素が加わって、加速して進んだ形と言えるかと思います。

総面積253km2のうち、田畑は0.6%、山林は96.1%、宅地は0.2%。
仕事を作らないと残りたくても村に残れない、生活も子育てもできないのは、五木村も同じ。

ちなみに、南牧村と同じく五木村も増田レポートで消滅可能性都市に数えられた自治体の1つ。
五木村の人口は2040年には502人となり、2010年に比べて59%減となるとする推計も出ています。

人口は何にしても大きく減る中で、村の機能をどう維持し、村民の暮らしを維持するのか。

村執行部や議会の果たすべきリーダーシップが、ますます重要になっています。
もちろん住んでる人の意識や行動も。
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by from_itsuki | 2017-06-08 07:42 | 五木の生活文化 | Trackback | Comments(0)

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