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この150年の五木村人口推移を見る。

この150年の五木村人口推移を見る。_b0125397_0465093.jpg

(旧五木第二中学校の木造校舎(宮園)。現在、中は民具資料整理室?になってます。2010年4月16日)

五木村の人口の推移について、
少し見てみたいと思います。

明治以降の人口と世帯数、世帯あたりの人数を見てみると・・・。

-----------
明治5年(1872) 2819名 432世帯 (6.5名/世帯)
明治11年(1878) 2840名 436世帯 (6.5名/世帯)
明治30年(1897) 3292名 433世帯 (7.6名/世帯)
明治40年(1907) 3549名 444世帯 (8.0名/世帯)
明治40年(1907) 3549名 444世帯 (8.0名/世帯)
大正9年(1920)   4509名 734世帯 (6.1名/世帯)
昭和5年(1930) 5519名 1053世帯 (5.2名/世帯)
昭和15年(1940) 6177名 1093世帯 (5.7名/世帯)
昭和25年(1950) 5902名 1069世帯 (5.5名/世帯)
昭和36年(1960) 6161名 1290世帯 (4.8名/世帯)
昭和45年(1970) 4006名 1019世帯 (3.9名/世帯)
昭和55年(1980) 3086名 955世帯 (3.2名/世帯)
平成2年(1990) 1964名 657世帯 (3.0名/世帯)
平成12年(2000) 1530名 582世帯 (2.6名/世帯)
平成22年(2010) 1354名 540世帯 (2.5名/世帯)
-----------

(「五木の民俗」、村統計資料より)


大正末~昭和40年の間が最も人口が多く、
5,000~6,000人前後だったよう。

大正15年~昭和15年までは、
日窒(後の(株)チッソ)の頭地発電所、竹の川発電所、
九州電力(株)の川辺川第一、第二発電所工事があり、
それに伴って道路整備も進んだ時期とも重なっています。

戦争中は、一時人口が減りましたが、
昭和23~27年頃まで日窒内谷発電所、
昭和47~49年内谷ダム(九州電力(株)大平発電所上部調整ダム)の
工事がありました。

戦争中は、一時人口が減りましたが、
その後全国的に人口が増え、
また薪炭需要や林業が最盛期を迎えて雇用の受け止め口に。

しかし、高度経済成長に合わせて、
村から都市へと人口が流出。

合わせて、薪炭需要の衰退、
木材価格の低迷による林業不振、少子化、
昭和38~40年の洪水・土砂崩れによる被災、
昭和41年の川辺川ダム計画発表と、
昭和56年の一般補償基準妥結後の水没者離村の急増、
水害後の災害復旧工事と、ダム関連工事による産業の転換・・・など
人口減少や産業の変化が続き、現在に至っています。


上の人口推移は、この150年を振り返ってみたもの。

さて次の150年、五木村はどうなっているでしょうか?
堅実な村として、在り続けてほしいです。
by from_itsuki | 2011-04-04 17:48 | 五木村暮らしの便利帳